ウィーン、我が夢の街(21)



4月7日(火)

 とうとう帰国の日がきてしまった。今日の夜にはウィーンを離れなければならない。なんとなく気が重い。これから何度も来ることはわかっていても、離れがたい。

 朝食のあと、部屋に戻り、荷造り。といっても、昨晩大方済ませてしまっているから、忘れ物がないかどうかをチェックする程度である。

 確認を終えて、部屋を出る前に、思い立って事務所に電話をかけてみる。出発するとき、「現地から通信ができればFAXサービスを使って連絡をするが、こなかったらあきらめてくれ。」と言っておいた。そのまま今まで何の連絡もしていなかったので...。

 ウィーンが午前10時30分だと日本は午後5時30分。ちょうど夕方である。秘書が出てきた。
秘書「元気ですか〜(笑)。」
私 「元気ですぅ(笑)。どうしても、今処理しないと事務所が壊滅するような案件ってある?」
秘書「そういうのはないですけど(^_^;)。」
私 「じゃぁ、帰国してからね(笑)。」
秘書「は〜い。あ、ボスいますけど、かわりましょうか。」
私 「いいよいいよ。せっかくウィーンの空気に触れて心が豊かになったのに、あんな声聴いたら、ぶち壊しになるから(笑)。」
秘書「それもそうですね〜(^o^)。じゃ。」

 いよいよ部屋を撤収する。都合6日間お世話になったこの部屋ともお別れである。もう一度、美味しい水道の水をゴクゴクと飲む。

 1階に降りてチェックアウト。電話代等の精算を済ませる。荷物をフロントに預けて(といっても、フロント脇にある小部屋に勝手に置いただけであるが(^_^;))、ホテルを出る。

 今日は、ウィーンの森の、先日バスツアーで行ったのとは反対方面(北側)に行くことにする。ハイリゲンシュタットまで地下鉄で行き、バスでカーレンベルグの丘にあがるという行程をとることにした。

ハイリゲンシュタット駅


 われわれの足となったU4に乗りこむ。今回はカールスプラッツで降りず、終点まで行く。U4は途中で地上に出る。終点のハイリゲンシュタットは地上駅である。

 駅を出てバス乗り場から38Aのバスに乗る。バスは駅前から幹線道路に出て、1ブロックほど行ったところで左折。長い上り坂の道をあがって行く。両側には美しい家並みが広がっている。しばらく行くと店や郵便局などが集まった地域がある。

 あるバス停にとまったところで、何気なく外に目をやったとき、思わず「あっ!」と声を出してしまった。

 何の変哲もない建物の玄関に、一枚のプレートが。そこには 「Dr.Karl Bohm」の名が。
 没年が1981.8.14になっていたから間違いない。

 うさぎに「ベームのプレートがあった!」と言ったが、うさぎは「あぁ?、同姓同名じゃないの?」などとふざけたことを言っている。人違いなわけがあるか。没年月日までいっしょだったのに。よほど降りて確認してみようかと思ったが、うさぎに言っても言うことを聴く可能性は皆無であったから、今回は見送ることにした。

 バスは町を抜けて、山道を登りつづけていく。かなり高いところまであがっていくようである。美しい林の中をうねうねと続く道を走っていく。

 終点についた。カーレンベルクの丘の頂上に到着したようだ。幸い天気も良く、寒くもない。

 日本の山にも良くある、展望台と土産物屋とレストランが一緒になったような建物があった。とりあえず上ってみることにした。すごい。ウィーンの街が一望できる。ドナウ川、ドナウ・タワー、シュテファン教会もおぼろげに見える。写真を撮ってから、下に降りてレストランでコーヒーを飲む。ケーキも食べたいところであったが、昼食前だったので、我慢した。

カーレンベルクの丘の展望台にて カールベームの何かのプレートのついた家


 コーヒーを飲んだ後、土産物屋を覗く。切手をたくさんならべているところがあったので見ていたら、店番の爺さんがやってきて「コンニチワ」(笑)。あれこれと見せてくれる中に、音楽家の切手を集めたものがあった。

 こっちが興味を示したのを悟ったと見て、爺さん、必死の営業活動。切手を指差して「モーツァルト」「ベートーヴェン」「ヨハン・シュトラウス」。言われなくても知ってるよ(笑)。

 見ると、ブルックナーがあるではないか。シェーンベルクもある。そこで、逆に指差して「アントン・ブルックナー」「アーノルト・シェーンベルク」「グスタフ・マーラー」とやってやった。爺さん、驚きながらも「ヤー」。ほんとうにわかってるのかね(笑)と思ったが、結構楽しんだのと、値段を聞いたら2000円くらいだったので、まぁいいかと思い、買った。

 再びバスに乗ってハイリゲンシュタット駅に向かう。


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