ウィーン、我が夢の街(3)


 着替えをして、ホテルの部屋を出る。今回の旅行には、ウィーン市内の交通機関(地下鉄、バス、路面電車等)に72時間乗ることができるチケットがついているので、これを持って出かける。

 ホテルアナナスを出て、道路を渡ったところが、地下鉄4号線の「ピルグラム・ガッセ」という駅。階段の近くにある改札機にチケットを差し込む。改札機といっても、日本の自動改札のように仰々しいものではなく、要するに簡単なタイムレコーダーのようなものだ。チケットを差し込むと、チーンという音がして、時刻が印字される。そのときから、一般のチケットであれば1時間。24時間、72時間チケットであれば、その間有効になる。

 ホームに降りると、地下鉄がやってきた。「ハイリゲンシュタット(行き)」という表示がある。そう。ベートーヴェンが遺書を書いた場所である。

 地下鉄が止まる。中からお客さんが手でドアを開けて出てくる。お客さんが乗降に使わない扉は、駅でも開かない。とりあえず、開いている扉から乗り込んだ。

 二駅目が、カールスプラッツ。ホームに降り、人の流れに添って階段を上がる。改札口(ここにも人はいない)を出ると、地下街がある。小さな土産物の店やタバコ屋(といっても、タバコだけではなく、雑誌や絵はがき、宝くじやサッカーくじ等も売っている)、鉄道模型(懐かしのメルクリン!)を売っているお店もある。

 地下街を少し歩くと、ロータリーのようになっていて、立ち食いのサンドイッチスタンドやピザハット、カルテンビューロー(エディタ・グルベローヴァのポスターがはられていた)がある。

地下鉄のピルグラムガッセ駅 カルテンビューローに貼られていたポスター



 「あそこじゃないの?」といううさぎの声に促されて、そちらをみると、OPERという表示がある。「ケルントナー」という表示のプレートもある。

 エスカレーター(シンガポールほどではないが、速い。)に乗って地上に出た。正面にそびえる古めかしい建物。国立歌劇場(「オペラ座」という表現が一般的なようであるが、どうも安っぽいので、あえてこう言う)が、そこにあった。数日後にはここでオペラが楽しめるなんて、夢を見ているようだ。

 ずんずん歩いていくうさぎのあとをついて、ケルントナー通りを歩く。すでに現地時間の午後6時過ぎ、日本時間の午前1時過ぎになっている。興奮しているので眠くはないが、腹は減っている。そこで、まず夕食ということで、いろいろ考えた結果、最初は、日本語のメニューも置いてあるということで、ミューラーバイスルというウィーン料理の店に行くことにした。

 ケルントナー通りを進み、天満屋という日本料理店のある道に入る。そこを直進して、突き当たりを左へ。しばらくまっすぐ進むと、右側にあった。表にも日本語訳を添えたメニューが貼ってある。

 扉を開けて、中に入る。ヨハン・シュトラウスに似た顔の男性が迎えてくれた。「グリュス・ゴット!」とあいさつを交わし、二人という表示をするために「ツヴァイ・ビッテ」と言ったら、ちゃんと通じた。どこでも好きなところに座れ、というジェスチュア。

 店内は、非常に落ち着いた、それでいて決して気取りのない雰囲気。程なく、先ほどのジェランが品書きを持ってきてくれた。ちゃんと日本語が併記されている。「ヤパーニッシュ!」とほほ笑むと、「ヤー」とほほ笑み返してくれた。

 品書きを見ながら、いろいろ考える。いきなりウィーナーシュニッツェルというのも芸がない。そこで、私はメインを仔牛のクリームシチュー(要するに、ハンガリー料理の「グラーシュ」である)。うさぎは、ショレという白身魚のフライ。それと、オードブルに、鰊のマリネ、チロル風の生ハムとメロン、スープには、私が、クレープを細切りにしたものの入ったビーフスープ。うさぎはポテトスープ。

 飲み物は、二人とも、それほどアルコールに強いほうではないので、私は白ワインを炭酸水で割った「スプリッツァー」というのを頼んだ。うさぎは、オレンジジュースの炭酸水割りである。

 スプリッツァーが運ばれてきたので、無事、ウィーン到着を記念して乾杯。そして、まずはオードブルが来た。量が多い(^_^;)。大振りの鰊の半身丸ごとを使っている。それに玉ねぎがたっぷりと添えられている。

 味はもうしぶんなし。もともと、アジやコハダ、サバなどの光ものは大好きだし、酢で絞めてあるとなれば、なおさらである。やや酸味はきついが、スプリッツァーをなめながらだと、じつによろしい。

 続いて、スープ。平たいスープ皿ではなく、壺のような器に供されてでてきた。私のは、細切りクレープが具になったビーフスープ。まるでラーメンでも食べているようでもある(笑)。スープは「ビーフ」といっても、フランス料理のコンソメスープのような強い香りのものではなく、淡い香りと味。肉が苦手のうさぎでも飲めるものであった。うさぎのは、ベーコンとポテトがたっぷりと入った具沢山のスープ。スープもまたたっぷりと出てきた。

 そして、メイン。私のは、簡単に言えばビーフシチュー。付け合わせに小麦粉で作った団子というかパスタというか・・・が添えられている。それにたっぷりの野菜サラダ。うさぎのは、魚でウィーナーシュニッツェルを作ったとでも言えばいいのか、薄くて大きな白身魚のフライが2枚。それにポテトサラダ。このポテトサラダに至っては、「これは頼んでいない。」と、思わずジェランに確かめてしまったほど、たっぷりとしたものであった。

 もちろん、これとは別に、パンもくる(ただし、オーストリアでは、パンは、オードブルまたはスープと一緒に食べるという習慣になっていて、メインの一品だけを注文すると、パンはでてこない)。

 二人とも、腹がはちきれんばかりになり、勘定を頼む。とりあえず、世界共通語ということで、左の手のひらに、右手で何か書くようなしぐさをする。二人でこれだけ飲み食いして、550シリング(5500円)ほど。ジェランに600シリングだして、50シリングのお釣りをくれようとしたので、それを押し戻すようなしぐさで「ビッテ」という。これでチップは完了。何ということもない。

 店を出て、腹ごなしのために付近を歩き回る。商店は、レストランを除いてほとんど閉まっているが、ショウウィンドウに商品を沢山並べ、明かりをつけているので、ウィンドウショッピングを充分楽しむことができる。ところが、ちょっと路地に入ると、石畳の道と、古い建物が並び、まるで中世の世界に迷い込んだようだ。とても、おなじ地球上の都市とは思えない。

 歩いているうちに、広場に出た。巨大な威容をもつ尖塔が目に入った。聖シュテファン教会の大聖堂である。都市の真ん中に、古式ゆかしいランドマークがある。どんどんと、この街の魅力に引き込まれている自分を、どうすることもできない。

 再び、ケルントナー通り(ここには車は入ってこない)に出ると、ア・カペラの女性の歌声が聞こえる。声に惹かれるようにして近づいていくと、年のころなら20歳前後であろうか。のびやかな声で歌っている。小さな帽子を前に置き、心付けを貰っている。いわゆるクラシックのオペラのアリア系統ではなかったが、良い声であった。

 現地時刻で午後9時。日本時間では午前4時過ぎである。めまいがするくらい眠くなったので、地下鉄4号線のカールスプラッツ駅に戻る。ホームには、かなり人が多く、しかも物を食べている人が多い。

 やってきた電車に乗り込み、ピルグラム・ガッセ駅で下車。部屋に戻り、入浴。普段は、寝る前に、うさぎをかまうのであるが、この日ばかりは倒れ込むようにベッドに入り、午後10時30分ころには意識を失ってしまった。そりゃ、そうだ。この日は、25時間連続で起きていたに等しいのだから。

 こうして、初日の、文字通り「長い一日」は終わった。


続きを読む