2000年12月の日記


2000/12/25

 昨日は、クリスマス・イブというのに、事務所の大掃除。「掃除」といっても、不要な本や資料を選別するという作業を伴うので、事務局任せにするわけにはいかない。そこで、日曜日に事務所に出ていって作業をしたというわけである。
 自宅の掃除の際も、思いっきりものを捨ててセイセイしたので、事務所のもその要領で処理をした。いざ、始めてみると、いかにゴミが場所を塞いでいただけだったかを痛感した。軍手をはめて、ドサドサとゴミを捨てていくと、快感すら感じる。
 とりあえず、ゴミ袋4個分のゴミを出し、キャビネットがかなり空いた。あと、自分のパーティションのところにあった、実に使いにくい書棚を粗大ゴミに。代わりに新しいファイルキャビネットを買って、パソコンもそこに置く予定。
 これで何とか、ゴミ溜の中での仕事から脱却できそうである。ついたての向こうの住人の机は、見ないことにする(笑)。


2000/12/05

 大きな外来オケのラッシュが一段落し、自分の出演する合唱団の演奏会も終わった。ヴァント/北ドイツ放送響、小澤/ウィーン・フィル、アバド/ベルリン・フィルと、それぞれが心に残るものだった。特にヴァントについては、実に「罪深い」音楽を聴かされてしまったという感じ。消えることのないキス・マークをつけて、去っていってしまった恋人のような・・・。
 そんな数多くの素晴らしい音楽体験を経て臨んだ自分のコンサート。結論からいうと、「本当に楽しかった。」というに尽きる。学生時代には、目の前にある音楽を「音にする」だけでほとんど精一杯だった(4年生のときに、ようやく「聴いて歌う」というのはこういうことかという感触は見えたが、そこで時間切れ)が、歳を経て、いろんな音楽を聴いたり演奏したりして戻ってきた合唱の世界というのは、またひと味違う楽しさがある。今回は、ルネサンス期のポリフォニーやマドリガル、シベリウスなどを歌ったが、これらの曲を歌いながらも、頭の中では色々な音楽がなっていた。シベリウスの終曲(我が心の歌)を歌いながら、ブル9の第3楽章の最後が頭の中でなってたり・・・。ヴィクトリアの「レクイエム」のフレーズでは「未完成」の第2楽章の木管のソロが流れたり、聖体拝領唱の、一瞬オルガンのような響きになるところでは、やはりブル9の第3楽章の後半にちょっとだけでてくる、死ぬほど美しい弦楽合奏のフレーズの部分。
 こうしたアプローチをしていると、指揮に対しても反応は敏感になってくる。昔は、わかりにくい指揮というのには抵抗があったが、朝比奈先生やヴァント翁の指揮に接していると、指揮者と奏者との間のコミュニケーションさえしっかりしていれば、棒が分かり易いかどうかなんてことは、どうでも良いように思えてくるのだ。指揮されなくなって、こっちは歌いたくてウズウズしてるのだから。ましてや、我々の団の指揮をするのは、20年くらいつきあいのある人間なのだから。むしろ、個人的には、ほんのちょっとした指の動きに暗示を受けて歌う方が、キチキチふられるよりも、任されているということで、ずっと充実感がある。
 今回も、「指揮が読めない」ということをいう団員がいたけど、私からいわせれば、音楽が身に付いていないだけのこと。もっと楽譜を良く読みなさいと言いたい。自分のパートだけではなく、全パートを読み下すことによって、どのパートをどう聴いて入ればいいかということだけではなく、さらに、他のパートが入りやすくするには、どう歌えばいいかということまで、楽譜から見えてくるのだ。そのうち、合唱団が一つの生き物になって、良い意味の「緩み」を表現できるようになると、もっと面白くなってくるのであるが、それはもはやウィーン・フィルの領域であるから、そう簡単にはいかないかもしれない。
 また、不思議だったのは、「あがる」ということが全くなかったこと。まあ、スケジュール的に、あがる暇もなかったのかもしれないけど、CLAコン(PC−VAN(これも死語になりつつあるか)の「クラシック・コンサートホール」のオフ会)でオペラのアリアを歌うときの方がずっと硬くなっていた(だれだ。嘘をつくななどと言っているのは(^_^;))。今回は固さは全くなく、歌いながらホールの響きを味わうということでも演奏を楽しんでしまったし、混声の時はアルトの隣で歌っていたから、ウィーン・フィルやウィーン・リング・アンサンブルがやっているように、聴きながら気持ちよく合わせて歌うということもやってみた。シベリウスの全曲が終わったところで、フライング気味に拍手が入ってしまったときには「聴き手としてちょっと残念」という感じもあった(あと5秒くらい無音が欲しかった)。
 まあ、いろんなことがあったが、良い音楽をやるためにはジャンルを問わず良い音楽を沢山聴いて、表現の幅を広げることが肝心(というか、そうするほうがやっていて面白い)ということが、またまた実感できた。


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