2000年8月の日記


2000/08/20

 16日朝、10時にアキバへ行き、パソコンを受け取り、車で事務所へ。すぐに段ポールをあけてマシンを取り出し、さらに段ポールのふたを開けるように本体のふたを開けて、メモリーを増設。液晶ディスプレイドライバやプリンタドライバ、親指シフトキーボードドライバの組み込み、更に仕事で使うソフトをインストール。
 昼近くなったのであわててお弁当を食べていると、PHSにNTTの工事担当者から電話。この日は表向きは休みなので事務所の電話にはでないと伝えてPHSにかけて貰うようにしておいた。予定通り来訪いただけるとのことであった。
 新しいマシンのセットアップが終わったので、いままで使っていたデスクトップ(IBMのPC300GL)を秘書に使って貰うためにセットアップを開始する。自分用にかなり癖のあるカスタマイズをしてあったので、それを修正するのに手間取る。細かい作業に集中しているところに、ボスがやってきた(^_^;)。お客さんの関係で来るらしいということは聞いていたので、前もって「工事をやるのでfaxは使えない」とか「私は工事の立ち会いとネットワークの設定に専従なので」と釘をさしておいたが。それでも、パソコンの細かい設定をやっているのに、横からベラベラと全く関係のないことを話しかけてくる。もう、この人のしゃべりは知的活動ではなく生理現象とでも思っていないと、やっていられない(笑)。
 しばらくして、NTTの工事担当者が来訪。工事の内容を説明して、作業にかかって貰う。1時間ほどで難なく終了したが、こういうビルの配線はとても素人では手が出せない。


2000/08/18

 うちの事務所は、8月14日から18日まで夏期休暇にした。つまり12日(土)から20日(日)までは、表向きは「お休み」というわけ。
 もちろん、秘書たちは掛け値なしに休んで貰っている。しかし、弁護士サイド(ことに私)にとっては、たまった仕事を片づける良いチャンスでもある。表向き「休み」にしてしまうから、電話は留守番電話にして、かかってきても一切出ない。それに、モニターで聴いてると、大体留守のメッセージを聴いただけで切ってしまうから、たいした内容ではないのだ(笑)。何人か律儀にメッセージを入れていただいた方もいたが、幾つかは、横で聴いていました(すまん)。
 で、何をしていたかというと、結局はパソコンと格闘して終わってしまった。いままで、事務所内LANはかろうじて組んでいたが、インターネットに接続できたのは、私のノート+P−inだけだった。以前はfaxの回線を切り替えてアナログモデムで接続していたこともあったが、数回、faxに戻し忘れてfaxが使えない状況になり(運悪く、私は出張に出ていた)、戻ってみたら、秘書から「faxが使えなくて困りました。」ということを、臓腑をえぐるような表現で書いたメモを机の上に置かれて、どっと落ち込んで以来、faxの回線の切り替えはしないことにした。
 P−inは便利だが、電話代がかさむ。それに私しか使えないので、私が外にいるときに事務局とのメールのやりとりができない。そこで、faxの回線をISDNに切り替えて、ルーターを通して、どのマシンからもインターネット接続ができるようにしようというわけである。
 とりあえず11日(金)にルーターを買った。NTT東日本製で、ワイヤレスカードが1枚ついて69800円。ワイヤレスは11M時代に移行しているなかの2Mであるが、サブノートをつなぐだけだから、妥協した。
 12日は合唱の練習に専念し、13日は9月の「本当の休み」に行く旅行代金の支払いなどをしたあと、アキバを周回。自分用の省スペースデスクトップを物色するためである。去年と同様自作を念頭に置いて飛び回ってみたが、今ひとつピンとこない。14日、15日もヘロヘロになって歩き回ったあげく、結局、新しいAptivaのDVD−ROMとPCカードドライブ搭載の95000円というやつにしてしまった。
 で、16日朝、秋葉原にマシンを引き取りに行き、そのまま事務所へ。午後、ISDNの工事である。


2000/08/03

 インターネットであれば、ネットワークに接続されているサーバーにアクセスできれば、メールの送受信や掲示板での情報交換については、特定の通信事業者に原則として拘束されることはない。
 一昔前のパソコン通信はどうだったかというと、原則としてある特定のホストマシンに接続しているメンバー同志でなければメールの送受信もできなかったし、掲示板での情報交換もできなかった。
 これを逆手にとって、いわゆる「草の根BBS」というのがはやった。ホスト用のマシンを一台用意し、これを電話回線につなぐ。会員はホストマシンのモデムがつないである電話番号にパソコンでアクセスすれば、ホストマシンに蓄えられたデータの読み書きができる。そこで、パソコン通信に熱意をもった人たちが、自宅にマシンを置いてネットを開設していたのである。ホスト用のソフトはBIG−modelなんてのがメジャーだった。
 もちろんマシンの運用費や電話回線の基本料金などがかかるし、ホストを運営すれば、へたをすると数百人の人間との関係を築くことになるので、なかなか大変である。個人で運用をしていればなおさらのことで、一部には有料のところもあったが、ほとんどが無料であった。
 私が通信をはじめたときに初めてアクセスしたのは小学館の「週刊ポスト」が運用していたPOST−NET。次いで大手のPC−VANであった。そして、当時全国に沢山存在していた草の根BBSの中で、たまたま「ホストが自宅に近い」というだけの理由で会員になったのが、「BBS in 新宿」というネットだった。ここは、もともと東京と大阪に離れて住んでいる親戚間の連絡のために作ったネットを、一般に開放したというのがその由来であったとか。
 会員層は結構若かったが、ボードの雰囲気が楽しく、随分とはまり込んだ。そして、司法試験合格を果たし、その年の暮れに、はじめてそのネットのオフ会(忘年会)に出席した。たしか20人くらいは集まったと思う。そこで合格祝いの寄せ書きを貰い、胴上げまでしてもらった。この寄せ書きは、いまでも大切にもっている。そして、「隠居(SYSOP)」というハンドルネームでホストを運営していた方のお宅にも何回か遊びに行くようになった。
 ネットは、事情があって閉鎖され、私も仕事が忙しくなり、隠居さんとは年賀状を交わすくらいのつきあいになっていた。
 そんな隠居さんと、今日、再会した。久々の、そして最後の、無言の再会だった。


日記の部屋に戻る