2000年7月の日記


2000/07/29

 今日は、ウィーン・フィル日本公演のチケット発売日だった。幸い、サントリーホールメンバーズクラブの会員優先抽選に1公演(3番・2番の日の分)当選しており、ゼロということはなかったので、比較的気は楽だった。しかし、ブラームスの1番を聴きたかったので、例のごとく回線3本を駆使して総攻撃をかけた。
 皮肉なもので、今までのウィーン・フィルのチケット獲得のなかでもっとも短時間に繋がり、他日公演を獲得に成功。22年ぶりに全プログラム制覇(75年・78年はベームの振った全プログラムを聴いていた)となり、拍子抜けしてしまった。しかし、各所の掲示板をみると、全く獲れなかったという報告が相次いでおり、まさに幸運だったようだ。
 そんな幸運に気をよくして(笑)、「コンサート・レポート2000」をようやくスタートした。レポート自体は演奏会直後に書いてPC−VANのクラシックコンサートホールのフォーラムにアップしているが(多少抜けているものもある)、ウェブサイトにアップできように編集するのが面倒で、つい延び延びになっていた。とりあえず、最近のものを中心にアップしたので、ご覧頂けば幸いです。


2000/07/18

 司法試験の論文式試験が近づいてきた。答案練習会の答案採点を通じて感じたことがあり、文章にまとめてみたいと思っていたが、なかなか時間がなかった。たまたま今日は仙台への出張だったので、新幹線の中で一つのテーマについて書いてみた。「司法試験覚え書き」を2年ぶりに更新したという次第である。


2000/07/13

インターネットが社会のインフラのようになってきている陰で、これまでのネットワークシステムが姿を消そうとしている。無手順接続のパソコン通信である。いまでこそ、電話回線にモデムを繋いでデータ通信を行うことは当たり前になったが、これは規制緩和の恩恵によるものだったそうだ。1986年頃に、NECの「PC−VAN」、日商岩井&富士通の「NIFTY−SERVE」などのパソコン通信事業がスタートした。NECの提供するテレビ番組のCMで、盛んにPC−VANのCMが流れ、「つながるぞ。広がるぞ。NECのパソコン。」などというキャッチフレーズがながれていたのを思い出す。
私が通信の世界に足を踏み入れたのは、平成3年夏のことだった。パソコン・ワープロを使った通信というのがあることは、平成2年暮れにパソコンを買ったときから知ってはいた。しかし当時は、家の電話が埋め込み式のローゼットでモジュラージャックがなく、モデムをつなげなかったので、通信をやろうとは思わなかった。ところが、平成3年夏に、NTTがモジュラージャックへの切り替え工事にきて、「障害」がとれてしまった。論文試験前に、早稲田司法試験セミナーの近くにある「未来堂」という本屋で「Wtermで今日から始めるパソコン通信」という本を買ってしまったのが運の尽き(笑)。フリーの通信ソフトを入手できてしまい、その足で秋葉原にモデムを買いに走り、2400BPSという「高速」モデムを買った。とりあえず、固定料金制のあるPC−VANに加入し、あとは、当時数多く存在した個人運用の「草の根BBS」の会員になった。また、オープンなシステム(会員制ではなく、投稿を送信すると運営担当者が手動で掲載するシステム)の一つとして、小学館の週刊ポストと連動して運用されていた「POST−NET」というのがあった。私の初めての書き込みはここだった。書き込みが翌日に掲載され、その翌日に歓迎レスがついていたときの喜びや興奮は今でも忘れられない。


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