「判例同旨」という記載の無意味さについて


 縁あって、司法試験の論文答案練習会の答案採点を、週一回ほどやっている。金銭的には別に好条件の仕事ではなく、なぜ続けているかと言われると、受験指導が嫌いではないからということになるだろう。
 答案採点をしていて気になることは幾つかあるが、一つだけあげるとすると「判例同旨」とかこれに類する言葉がやたらと乱発されていることである。
 私が受験時代に指導を受けた先生(現在、私と同じ第二東京弁護士会所属の弁護士である。)は、一貫して「判例はどういっている・・・」ということは答案に書くなと強く指導していた。私は、その教えを守って、受験した論文本試験の答案の一通たりとも「判例は・・・」とか「・・・と考える(判例同旨)」という表現を使わなかった。
 これは考えてみればあたりまえのことで、論文式試験(この「論文」という名称がくせ者であるということについては、また別に述べる)というのは、「この問題についてお前はどう考えるのか。」と聞かれているのに対して「自分はこう解決すべきだと考える」ということを書く試験なのだ。判例がどういっているというのを「書く」ことには意味はないのである。ひどい答案は、論点を示して、結論を書き、(判例同旨)としか書いていないもの。こういう答案を見ると、お前は判例に寄っかかってしか生きていけないのかと言いたくなる。さらにひどいのは、判例を誤解して「判例同旨」と書いているもの。予備校によっては、「判例同旨」とか「判例結論同旨」とかくだらない使い分けを指導している(「判例『に』同旨」に至っては、馬鹿の骨頂と言うしかない)ところもあるようなので、使っているだけではあからさまに文句をつけるわけにはいかないが、判例の結論を間違っていれば、思いっきり減点して「判例についてわざわざ誤った記述をしなければ25に乗ったでしょう。」とまで書いておく。このコメントをどう受け止めるかは、受験生の問題である。
 ただし、これは判例学習が不要であることを意味するものでは決してない。むしろ、私は多くの問題点について、主として最高裁の判例を十分検討し、自説に消化していた(判例の妥当する事例の範囲まで含めて)。学者の生硬な文章と異なり、実務家の頂点にたつ最高裁判事の文章や、これを解説する調査官の文章は、まさに実務向けに書かれており、使いやすいからである。大学で民事訴訟法の講義を拝聴していた木川統一郎先生の薦めで、判例百選をつぶす際は、法曹会から出ている最高裁判所判例解説から可能な限り該当部分をコピーしてきて、百選の解説がタコなときはもちろん、そうでないときにも調査官の解説を使ってノートづくりなどをしていた。全部を丹念にやるわけにはいかないだろうが、たとえば平成5年以降のだけでもピックアップして検討してみてはどうだろうか。かなり役に立つと思う。


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