朝比奈隆&新日本フィル ベートーヴェン・チクルス5


日 時:平成10年6月4日(木)午後7時〜
場 所:サントリーホール
出 演:豊田喜代美(ソプラノ)    秋葉京子(メゾ・ソプラノ)    若本明志(テノール)    多田羅迪夫(バリトン)
    栗友会合唱団(合唱)/栗山文昭(合唱指揮)
    新日本フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)
    朝比奈隆(指揮)
曲 目:ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」


 思いおこせば、今から1年前。昨年の五月のことだった。指が折れんばかりにリダイヤルを繰り返し、やっとのことで全公演のチケットを確保したのだった。そのときは、チクルスの最後が1年先とは、ずいぶん先の話だなぁと思っていた。

 溜池山王の駅を出て、全日空ホテルのベデストリアン・デッキを歩く。リニューアルされたカスケイドで、新日本フィルのメンバーが食事をしているのが見えた。

 チクルスの第1回が昨年の九月末。開場の時刻には、すでに闇が覆っていた。今回は、ホール前のパイプ・オルゴールがなったときも、まだ明るさが十分残っていた。当日券の窓口はブラインドが降りている。「ズーヘ・カルテ」の人の列ができている。ちょっぴり誇らしい気持ちでホールに入っていく。

 入場後、オレンジジュースで喉を潤し、自分の席に行く。少し疲れ気味だったので、自分の席で体を休めた。オケのメンバーと合唱団がステージに揃う。開演の合図。P席に若干の空席はあるものの、ほぼ満席。

 ソリスト陣が入場。続いて朝比奈先生の登場。いつもにも増して熱い拍手が続く。やはりチクルスの最後ということもあるのだろう。

 第一楽章。おもむろに棒が降りる。弦の刻みが始まる。何度聴いてもドキドキする一瞬である。例のごとく、非常に丁寧な音の刻み。5度の和音をしっかりと鳴らしていた。はっきりはわからなかったが、今回もディヴィジで弾かせていたように見えた。途中のクライマックスのところも、ティンパニーはきっちりと32分音符で刻み、トレモロに逃げるようなことはしない。全体的に、非常に重たさのない演奏である。楽章の最後のほうで、一瞬、アンサンブルに「ん?」という個所があったが、なんとか無事クリアした。素人目に見ても、あの棒だけで演奏するというのはかなり辛いものがありそうだ。

 第二楽章。ここも、トリオの弦楽合奏のところとかは、ついこってりと歌いたくなるところであるが、そういうベタベタした感じがなく、前へ前へと進んでいく。繰り返しの部分も、わざとらしく表情を変えたりしない。

 第三楽章。ここまでくると、もう自分で演奏体験があるので、あっという間である。従来どおり、この楽章もあまりもたもたとせず、むしろあっさりとした感じ。速い3拍子を感じるようなテンポで進んでいく。例のホルンのソロの部分も、その部分だけではなく、前後にわたってかなりホルンに強く吹かせており、ホルン協奏曲の雰囲気すら。

 途中のファンファーレの2回目。まるでオルガンのような響き。トランペットの「パパパーン」を受け、セカンドヴァイオリンが追いかける。だんだんと落ち着いていって、再び従来の速い三拍子に戻っていく。そして最後へ。

 第四楽章。レシタティーヴォから歓喜の歌の主題にかけては、昨年の大フィル、新日本フィルのときと同様、あっさりと通り抜けていく。よく歓喜の歌の主題が出てくる前に、意図的に長〜いゲネラルパウゼをとる指揮者もいたが、こういうあっさりタイプの演奏を聴くと、そういうのがわざとらしく感じられてくる。

 合唱が出てきたところで、「おや?」と思った。今までに聴いた、どの「第九」とも違う音色がする。従来の第九の合唱は、どれも(程度の差こそあれ)ぽってり系であった。しかし、栗友会のは、非常に輪郭がはっきりしており、やや鋭角的な響きである。そのうえ、パート間のバランスも良いので、合唱がとても奇麗なのである。第九というと、多少疵はあっても、ワーッとなってしまえば全てよし、みたいな感じが支配しているが、栗友会のは、そういうタイプの第九とは一線を画している。

 そして、指揮に対するレスポンスがすごくよいのが、客席で聴いていてもよくわかる。エンジンで言えば、4バルブのツインカムといったところか。アクセルをポンと踏むと、軽くレッドゾーンに届くという感じ。

 「Gott! 」のところのティンパニーはあまりディミヌエンドしなかった。そしてほとんど間をおかずに、「行進曲風に」に突入。ここのテノール独唱と絡む男声合唱は、もう少し厚みがあったほうがよいと思ったが、これは好みの問題だろう。その後はテンポをぐっと押えて細かな刻みとの絡み合い。そして、合唱のクライマックスでは、実に美しいコラールを聴かせてくれた。

 フーガの部分は、またもや合唱団の実力を感じさせた。各パートが実によくまとまっていて、「合唱の美しさ」を聴かせてくれた。「第九ってのは、ただ、うわ〜っと騒いで新年を迎えるための音楽じゃないんだよ。」ということを、改めて教えてくれたような気がする。

 朝比奈先生が栗友会の合唱を聴いて、どう感じたかはわからないけれど、切れ味鋭い音色は、第九を、まったく別の側面からアナリーゼしてくれたような気がした。

 最後のプレスティッシモにはいるところは、コンサートマスターがかなり大きく合図を出していた。そして合唱の「funken」が消えたところから、さらに一気呵成に進んでいき、ズバン!と断ち切るようにフィナーレ。

 おわった。長かったような短かったような半年。いやチケットをおさえたときから数えれば1年であった。別にベートーヴェンを聴かなくたって、音楽について語ることに何らはばかられることはないけれど、全部を聴きとおすことで、自分の心の中に「何か」の歩留まりが残ったような気がする。  朝比奈先生には、これからもお元気で、1回でも多く指揮台に立ってほしい。まずは、来月の大フィルの「ブル5」、そして秋の都響の「ブル8」での好演を心から期待している。
======================= 1998-06-04 (Thu) 22:45:44 ====================
オケについて
 第一楽章の終わりのほうのズレは、一瞬「ドキッ!」としました。おかげで、若干疲れ気味だったのが吹っ飛んで、最後まで緊張してききましたが(^_^;)。第9で、しかもチクルスの最後ということで「熱演系」になるかと思っていたのですが、むしろ、あっさりした、ある意味では「素っ気無い」演奏でした。ただ、これをもって「消極的な演奏」とネガティブな評価をしていいのかとなると、はたしてそうか。もしかすると、装飾を徹底的に削ぎ落とした到達点ではなかったのか。新日本フィルは、指揮者の要求に応えたのではないか。
 終演後、「何も足さない。何も引かない第九だった。」という言葉が頭に浮かんだのですが...。

合唱について
 今回の合唱の面白さは、「第9だけを歌う合唱団」「第9に思い入れのありすぎる合唱団」と両極のところにいる合唱団が「第9」を歌ったからこそ生まれたものであったと思います。  栗友会は、特別の曲として「第9」にアプローチしなかったのではないか。武満や三善晃をうたうかのごとく、第9に向かったのではないか。だからこそ、ああいう透明感のある「第9」になったのではなかろうか。  オケの乱れには目をつぶって、なんとしてもCD化してほしい。
======================= 1998-06-05 (Fri) 23:27:50 ====================


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