プロ・カンティオーネ・アンティクヮ(3)


日 時:平成9年10月12日(日)午後2時〜
場 所:紀尾井ホール
出 演:10月7、8日と同じ。
曲 目:バナスター /我が恐ろしき夢
     コーニッシュ/悲しんで集まった者たち
     ピゴット  /何を求めたもうや、おお、み子よ
     ホワイト  /イェレミアの哀歌(6声部)
     ラッスス   /レクイエム(4声)より
              イントロイトゥス、キリエ
     パレストリーナ/谷川を慕いてあえぐ鹿のごとく
              /うるわしき救い主の御母
     ラッスス    /レクイエムより
               サンクトゥス、ベネディクトゥス
     ヴィクトリア  /聖週間のレスポンソリウムより
               闇となりぬ
               我が眼は涙にくれぬ
     ラッスス    /レクイエムより
               アニュス・デイ、コンムニオ
    グレゴリオ聖歌/天使らが汝を天国に
    ラッスス   /音楽、それは最高の神の贈り物
 (アンコール)    不明(英語の歌だった(^_^;))
    タリス/テ・ルチス・アン・テ・テルミヌム


 日曜の昼下がり。四谷駅で降りて、土手沿いの道を進んで、紀尾井ホールに向かう。春にウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団を聴いたときは、桜が満開だった。今は、少しずつ秋が深まっていく。

 今日は、思い切って一番前の席を取ってみた。といってもステージにあふれんばかりのオーケストラではなく、10人の声楽アンサンブルで、ステージの中央で歌うから、いわゆるかぶりつきにはならない。

 最初の3曲は、英語の宗教曲。いわゆるポリフォニーというより、キャロルのような感じであった。

 続いて歌われたのは、ホワイトのイェレミアの哀歌。「イェレミアの哀歌」というと、タリスのそれが有名であるが、ホワイトのイェレミアの哀歌は、もっとウネウネとしていて、それがまた魅力的である。PCAの歌ったのは6声のものであったが、5声のイェレミアの哀歌も、実にいい。古くはオクセンフォード・クラークスという声楽アンサンブルのレコードがあった。最近では、タリス・スコラーズのCDが出ている。

 中世・ルネサンスの声楽曲を歌うアンサンブルにはいろいろあるが、PCAは、たとえばキングズ・シンガーズやタリス・スコラーズと比べると、個人の声の独立性が高いような気がする。アンサンブルの美しさという面では、キングズ・シンガーズのほうが長けている。しかし、個々の歌い手の声は、PCAのほうがいいと思う。

 後半は、ラッススの4声のレクイエムを核にして、パレストリーナやヴィクトリアのモテットが絡まる。ラッススのレクイエムは、20年近く前にPCAが来日したときに、カテドラル大聖堂で聴いた。

 ベースの「REQUIEM」の先唱に続いて、カウンター、そして他のパートが絡んでいき、時には動的に、時には静かに、曲は進んでいく。今まで、ごくごく小さく、出を指示するだけだったマーク・ブラウンの指揮が、この曲に限って、非常に柔らかく、楽しんで指揮しているように見えた。

 CDや、カテドラルでのコンサートのときは、途中にグレゴリオ聖歌の「怒りの日」を挟んでいて、これが凄くよかった。今回はそれがなくて残念だが、その代わりに、ヴィクトリアのレスポンソリウムが素晴らしかった。派手な動きのある曲ではないが、シンプルな中にも実に深い響き。キリストの受難を切々と歌い上げていく。「闇となりぬ」そして「我が瞳は涙にくれ」の中に出てくる「O Vos Omnes」の素晴らしかったこと。

 そしてラッススのレクイエムの後に歌われたグレゴリオ聖歌。グリフェットがソロで歌ったが、使者のためのミサの締めくくりとしてふさわしい、美しくかつ峻厳な響きであった。

 プログラムの最後は、一転して明るいモテット。「音楽、それは最高の神の贈り物」。なんて素晴らしいタイトルだろう。3日間の、ささやかではあるが、実に印象的なチクルスの締めくくりとしてふさわしい曲だった。

 この3日間の演奏会で、私の心の中の音楽時計の針は、完全に大学時代に戻った。教科書より楽譜を見ているほうが長かった時代に。
======================= 97/10/23(木)01:17:40 ====================


コンサートレポート97表紙に戻る